能楽堂コラム
NOUGAKUDO COLUMN
福岡市の緑と水の憩いの場、 大濠公園には能楽堂が建っています。 設計は大江宏氏。 一九一三年生まれで、一九三八年に東京帝国大学の建築学科を卒業しました。 父の大江新太郎氏は、日光東照宮の修理などを手がけた内務省の技師でした。戦後間もない一九四六年に設計事務所を設立し建築家として活躍した一方、法政大学建築学科の礎を築いた教育者としても知られます。一九八九年七十五歳で亡くなりました。
大江氏は日本人としての空間感覚を、西洋からやってきた近代建築に映し込む困難な道程を生涯をかけて模索し続けた建築家でした。 その結晶のひとつが一九八三年に完成した東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂です。 大濠公園能楽堂はその三年後に完成しました。
大江氏は能と能舞台について研究した長い文章を残しています。 正面から鑑賞し、カーテンによって舞台と客席が絶縁される西洋のオペラ劇場とはまったく異なり、いろいろな角度からの視線を持つ能舞台と見所(観客席)の関係、舞台・橋掛り・鏡の間の三つの空間からなる能舞台の特徴、舞台と橋掛りの角度についての考察など、能舞台について深く切り込んでいく大江氏の文章には、学術的な側面と、それを能楽堂という建物に昇華するための建築家としての長い格闘が滲んでいます。
大江氏の言説で繰り返し語られるのは「時間」についてです。幕の開け引きで瞬時に切り替わる西洋的舞台とは対照的に、徐々に始まって、現世と夢幻が取り結ばれ、徐々に終わっていく、能楽に流れる時間。能楽堂全体の設計においても、大江氏は時間を大切にしています。国立能楽堂の正門をくぐり前庭から玄関へ、そして広間、歩廊を抜けて見所へといたる道筋を、大小の正方形が雁行する棟をわたり歩くかたちで描きました。各所で切り替わって行く空間を経て、だんだんと能楽の場へ近づいて行く「時の旅」です。鉄筋コンクリート造のなかに木造の凛々しい佇まいが組み入れられているのも、建築の歴史という時間の重なりと言って良いと思います。大濠公園能楽堂も同様の手法で設計されていますが、建物が小振りなぶん、正方形を四十五度の対角線方向に移動する面白さがさらにわかりやすく感じられます。
大江氏の仕事にはもっと大きな意味での時間も流れています。それは古代から現代にいたるまで日本文化が重ねて来た時間です。 中国文化の強い影響を背景に、変革期、たとえば奈良から平安、南蛮文化の渡来、明治以降の西欧文化の流入を語りながら、大江氏は変革に際して前の価値が切り捨てられずに「成層」ができていったこと、過去のものも最近のものもあらゆるところで今日を形成している状況が日本だと言っています。従って洋風和風の安易な折衷に走るのではなく、かといって西洋的視点への偏りも避け、文化的成層の上にある現代の日本建築を問い続けました。そして日本文化を「併存在」という現象と捉え、建築と都市を考察しつつ、設計に向き合ったのです。
松岡 恭子
(『街を知る』2023年、古小烏舎より)